琳派と現代美術 の記録

 

期 間 2021年 5月12日~5月15日


  宗達、光琳、抱一、ポール・ジェンキンス、マイク・金光、サム・フランシス、マーク・ロスコー、平松輝子

・平松 輝子「私は近世の屛風絵や、国宝、重文級の墨絵を見て真の美術とは何か、前衛はこの真にいたる道程であったのだと感動したのだ。あれはその時代の至高なる精神の結晶で永遠の至宝である。」
・岡倉 天心「西洋は彫刻とともに進み、東洋は書とともに進めり。書をよくするものは画もよくすと。ゆえに筆力は東洋絵画の基本となり、もって近古に通ぜるものというべし。」
・坂田 一男「バックボーンと伝統が最も生きているのが前衛」
者様々な意味で西欧と東洋日本は正反対である。さらに現代と江戸時代も正反対。
ところで人々は「琳派」についてどういうイメージを持っているのだろうか。金銀の下地に華麗に咲く草花や日本人の愛した花鳥風月の世界。
宗達、光琳、抱一の三人の天才絵師たちによる垂らしこみや没骨法のなど多様な技法の多用。大和絵と狩野派が融合した優美な筆趣とともに生き生きした表現。それは日本美術史上もっとも耽美的世界であった。
後継者はいつしか途絶えてしまったが今なお人気が高い。
一方、1950年代のアクリル絵の具の開発とともにニューヨークの画家たちが、偶然、綿キャンバスで垂らしこみを始めた。
1964年に渡米した平松輝子は初めてアクリル絵の具を知ると、持参した和紙にそれらを含侵させ垂らしこみ、没骨法で作品をつくる。のちにドイツでは綿キャンバスに墨で、垂らしこみ、没骨法を駆使した書を描いた。
帰国すると琳派の定番「風神雷神」を前衛書道(抽象画のコラージュ)で描く。
輝子は若い時にたくさんの草花図を描いたが、それは宗達の草花図を彷彿とさせるものがあった。
光琳は、(光琳)波の「模様」を芸術に高めた。光琳は、波涛図など「水」にちなんだ絵をたくさん描いた。
紅白梅図にみる中央部の川は、もしかしたら天の川なのかもしれない。
平松もまた水の作品にこだわり独特の模様で水の波動を描き、晩年は金地、銀地で銀河(天の川)をたくさん描いた。