期 間 2019年 11月7日~11月24日
「日本にはTERUKOがいた」
今回の初めて展示する畳二枚大の大作。
アルミによる輪。割れたタイル。セメント、石膏。
これを見た人は戦後のドイツの現代美術を代表するアンゼルム・キーファーか、アメリカ現代美術の大家の一人、ジュリアン・シュナーベルの作品だというだろう。
しかしこの作品は彼らのデビューのはるか前に描かれ(作られ)た和紙と墨の作品。
この作品は戦争、暴力、破壊、カタストロフをイメージさせる。
1963年に制作されたこの作品が1964年にアメリカに運ばれていれば世界の美術史は変わったかもしれない。
1964年、ニューヨークで活躍していたアメリカ国籍の日本人画家、金光松美氏は具体美術協会の吉原治良氏の招きにより戦後初めて来日した。
平松がこの年日本橋画廊で開いた「現代の墨」展はジャパンタイムスに掲載されたためか、金光氏は数人の関係者とともに国立の平松宅を訪れた。
金光氏は輝子に渡米を強く勧め、輝子は小学校の教諭でありながらその年にニューヨークに行き個展をすることになる。
その時、アメリカに運びたいが大変な運賃がかかるといわれて断念した絵がある。おそらくその作品がこれ「壊(私の命名)」ではないか。
畳二枚分のパネルに多くのコラージュがされて重いだけではなく縦で運ぶと運搬中に壊れる可能性もある。
いずれにしろ具体の画家たちの作品を見た金光さえも驚かせた。
これはまたモノ派のようでもあり、ダダイズムのようでもある。
先端のミクストメディアだが「現代の墨」という展覧会名のように古い墨を使っている。
さらには50年代のAGO、異質展などでも伺えたエネルギーにあふれた大胆な作風はかわらない。
世界の絵画を見れば50年代後半のタピエスからダダイズム的なものは生まれていて、影響を受けたのかもしれないが、これは真似ではない。